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義経が駆け抜け、「四国遍路の父」が歩いた美しい里の道
小松島市恩山寺と立江寺周辺の遍路道

義経が駆け抜け、「四国遍路の父」が歩いた美しい里の道
小松島市恩山寺と立江寺周辺の遍路道

四国遍路道の1200kmの長い道のりの中で、昔ながらの状態を保ち続けている箇所は国の史跡指定を受けています。
険しい山道が多い史跡指定の遍路道の中で、とても珍しい「あぜ道と竹林」の国史跡遍路道が小松島市にあります。その近くには「遍路の父」真念の道標が多く残っていながら歴史の片隅に忘れられていた遍路道もあり、最近再整備されました。

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恩山寺から立江寺へ。珍しい竹林とあぜ道の国史跡へんろ道

四国遍路道1200kmの大部分は、お遍路さんだけの特別な道ではなく、昔から里の人々や一般の旅人が往来していた道。そのため今ではアスファルトやコンクリートで舗装された車道に変わりました。

昔ながらの自然道のまま残っている箇所は、その歴史的価値の高さから近年次々と国の史跡指定を受け保護されています。小松島市の四国八十八箇所霊場第18番札所恩山寺周辺の遍路道もその一つ。

史跡指定遍路道は、地理的環境から未舗装のまま残りやすかった深山の山寺札所への険しい山道が多い中、恩山寺周辺の遍路道はとても異色の存在。住宅地に隣接する竹林や畑のあぜ道といった「里道」が史跡に指定されているのです。

四国遍路道は、番号順に参拝していく時に次に向かう札所のお寺の名前で呼ばれます。

恩山寺の周辺の遍路道は、徳島市方面から恩山寺までの区間は「恩山寺道」、恩山寺から次の19番札所の立江寺までの4kmの区間は「立江寺道」と呼ばれています。

恩山寺道は、前の札所で眉山の向こう側にある徳島市国府町の17番井戸寺から始まり、総距離は18km程度。徳島市街地を通り抜けるため大部分がアスファルト舗装の賑やかな広い車道で、史跡指定を受けているのは、恩山寺のすぐ手前の400mです。

恩山寺への車道沿いにそのまま行ってしまいそうになりますが、小松島エリアの見どころマップを通り過ぎたら、右側の家々の裏手側に入っていく細い道を見逃さないように注意して下さい。

古い石積みの塀と岩がむき出しになった山肌に挟まれ、道の雰囲気はガラリと変わりました。ほどなく恩山寺の山門が見えてきます。

山門のすぐ向こうには、赤褐色の木肌の「ビランジュ」の大木。
壮年期の弘法大師がこの地で修行していた時に植えたとも伝えられています。

山門やビランジュの付近はお寺への車道と接しているので、家々の裏手に入る道を見逃してもここから合流可能。
遍路道は再び車道から離れてお寺に向かってまっすぐ高度を上げていきますが、多くのお遍路さん達が踏みならす道なので、とても歩きやすいきれいな道です。

行く手に巨大なお大師さんの後ろ姿が見えたら、お寺はもうそこ。第十八番札所恩山寺に到着です。

弘法大師がこの地で修行していた時に、彼を訪ねて来た母親の玉依御前がこのお寺で出家剃髪してその髪を奉納したことから「玉依御前の剃髪所」とも呼ばれるこのお寺。

お寺の名前も山号も、お母さんへの恩に応え、母親孝行をすることに因んでおり、この時記念に植えたと言われている樹が山門近くのビランジュです。

恩山寺参拝後、巨大な弘法大師立像の脇から登ってきた遍路道を少しだけ下りかえしたら、道は右手に下っていき、遍路道の名前も立江寺道に変わります。

ここから約500mが国史跡指定の部分。
そして、昔からの面影を残す四国の遍路道の中でも異色の魅力が詰まっているのが、まさにこの区間なのです。

恩山寺の建つ山を下り、黒い和牛が何頭も興味深そうにこちらを眺める牛舎の脇を通り過ぎると、道は木立の中へ。
赤い矢印がわかりやすい道標が行く方向を導いてくれます。
木立の向こうには、見事な竹林に囲まれた小道が緑に光る木漏れ日に向かって続いていました。

きれいに手入れされた竹林の道の脇には、「義経ドリームロード」の看板も。
源平合戦の終末期、屋島に逃れた平家の軍勢を追って、源義経が上陸したのは今の小松島市にあたる場所。
敵方の平家の領地内を密かに抜けるために通ったとされるルート約10kmは、「義経ドリームロード」として整備されていて、この竹林の道もその一部です。

敵の領地内を進みながら、どこで突然敵勢に見つかるかもしれず、すぐに応戦できる様に弓の弦を張った坂道「弦張坂」や、どうやら無事に危険な箇所は通り抜けたと安心して弓の弦を緩めた「弦巻坂」の言い伝えも、この遍路道沿いに残っています。

江戸時代以降、全国各地から多くのお遍路さん達が歩いていたのよりも遥か前の源平時代から、この道はここにあったと示す伝説。
歴史上の有名人物達が通った同じ道を私達は歩いている、この景色を義経も見たのだと思うと壮大なロマンにゾクゾクします。

長い竹林の道を抜けると、弘法大師が赤ちゃんの時に使ったおむつ(おむつき)を納めたという謂れが残る釈迦庵を通り過ぎました。

今は無人のお庵は、静かな木立の奥にひっそりと佇み、その手前には四国最古といわれる仏足石があります。義経の「弦張坂」は釈迦庵の手前、竹林を抜けて下ってきた道です。

車道を道なりに進み、木立から抜けて住宅地が向こうに見える開放的なエリアに戻ってきたところで、道標は突然農地の中を指しています。

これこそが、四国遍路道国指定史跡区間の中でも異色中の異色、「史跡のあぜ道」となります。

山の中の道でもなく住宅街近くを抜ける一見何の変哲もない畑脇の道であるため、なんとなく見過ごしてしまいかねない遍路道。実際地図上では恩山寺から車道を通って立江寺までまっしぐらに向かう方が良さそうに見えますが、それはとてももったいない!

徳島市中心部からこんなに近く、アクセスも良好の場所で、こんなに簡単に古のお遍路さん達が通ったそのままの道をたどることができる。
それが、恩山寺周辺の遍路道です。

 遍路道はこの石橋を渡り、家と家の間の細い路地を抜けて再び車道に合流する
遍路道はこの石橋を渡り、家と家の間の細い路地を抜けて再び車道に合流する

立江寺周辺の遍路道。「四国遍路の父」真念が歩いた古道を再発見

四国八十八箇所霊場第19番札所・立江寺周辺にも、気軽なウォーキング気分で楽しめる道があります。

立江寺から約600m・徒歩10分程度行くと、次の20番札所鶴林寺への遍路道沿いに「立江寺奥之院・新四国八十八箇所」と刻まれた大きな石柱が。その角を中に入って少し進むと、緑豊かな山を背にこぢんまりとしたお庵のようなお寺・清水寺があります。

あの石柱の立江寺奥之院とは、この清水寺のこと。
ただし、立江寺の奥之院は、この清水寺の他にお隣の阿南市羽ノ浦にある取星寺、勝浦町の鶴林寺の山の向かいの中津峰山中腹にある星谷寺・通称「星の岩屋」と合計3箇所もあるのでご注意を。

清水寺の横の石段から裏山をぐるっと一周するように、ミニ四国八十八ヶ所が作られており、地元の人々の手によってきれいな遊歩道が整備されています。

一周約4km、1時間程度で軽いウォーキングがてらに楽しめるので、ぜひ立江寺の参拝後はこちらのミニ四国も歩いてみて下さい。

最初の石段からしばらく上り坂を登れば、あとは山の上のなだらかな部分を歩く平坦な道。
道の状態も周囲の木々も、いつ訪れてもとにかくきれいに整備されていて、地元の人達が本当に愛情をかけて大切にしてくれている場所だとわかります。
ミニ四国の、石仏も本尊と大師像がそろって道の両側に程よい間隔で並べられています。

立派な竹林を抜けていく場所も何箇所かあり、いずれも枯れた竹は取り除かれ、きれいに整えられている竹林。
また、道沿いにはこの竹を有効活用して景観と上手く溶け込むように手すりや柵が作られています。

歩きながらぜひ注目して欲しいのは、そこかしこにあるユーモアあふれるメッセージや注意書き。読んでいてクスっとするような上手い言い回しの宝庫です。

また道沿いには季節の花々が植えられており、その花や木々にちなんだ坂の名前の看板や植物の名札など、ここにあるものすべてが手作り感満載、愛情を感じるのです。

ここを世話する人たちが楽しそうに名前をつけたりしている様子が目に浮かぶようです。

ミニ四国コースの最高地点には、木々や竹をうまく使ったベンチがおかれた休憩場所が。
気持ちの良い風が抜け、豊かな緑に囲まれ、ここでお弁当を広げたり、おやつを食べたりすれば最高です。

 愛され大切にされていると感じられる道や木々、優しい雰囲気を持っています
愛され大切にされていると感じられる道や木々、優しい雰囲気を持っています

ミニ遍路のコースは山をぐるりと回り、再び元の遍路道へと戻っていきます。
「立江寺奥之院」の石柱がある角から道なりに進んで200m弱のところ、景岩寺と標識出ている角が、元の道との合流地点。
ミニ四国最後の88番札所の石仏たちがいるのも、この景岩寺境内の片隅です。

立江寺ミニ四国コースの山道を堪能し、元の道に戻るとすぐそこから始まるのが、「櫛淵真念へんろ道」
これまでお遍路さんたちが通常歩いていたのは、小松島市櫛渕町の真ん中を横切る県道28号阿南小松島線。車もバスも通る町の人達の主要生活道路です。

ただ、昔のお遍路さん達が通っていたのはもう少し奥側の細い道で、古い道標なども残っていました。近年、その道を地元有志の保存会が整備して迷わず歩けるようにしてくれたのが、櫛淵真念へんろ道です。

この古道にある古い道標3基を建てたのは、遍路道の名前にもなっている「真念」さん。
いったいどなたでしょうか?

実は、四国お遍路の世界では超のつく有名人、「四国遍路中興の祖」「遍路の父」とも呼ばれているお方です。

 道沿いには、ヤギさんたちの姿も
道沿いには、ヤギさんたちの姿も

真念さんは江戸時代初期(17世紀後半)の大阪出身のお坊さんで、四国遍路を20回以上も歩いて回ったそうです。
その知見を基に『四国遍路道指南』というイラストいっぱいの本を刊行。

旅に出る服装と持ち物、参拝方法、寺の場所や境内の様子、御本尊、御詠歌、道順、札所間の距離、宿の情報などが詳細に記述された、まさに四国八十八ヶ所巡礼「初」のガイドブックの誕生でした。

また、この本の中で初めて、88のお寺に1番、2番…88番という私達が今日使っている札所番号がつけられたのです。

 大きなお地蔵さんの足元に、真念道標の1基が残っている
大きなお地蔵さんの足元に、真念道標の1基が残っている

このガイドブックの誕生によって、江戸時代からは僧侶や修行者ではない一般庶民の人たちでもお遍路を回るようになり、全国から人々が集まる四国遍路ブームの礎を築いたのです。この本は明治期に至るまで内容をほぼ変えることなく発行されつづけました。

また、真念さんは、他のお遍路さんの道案内になるようにと石の道標を200基以上も建立しました。
つまり真念さんの道標が残る道は、古くからの遍路道の証。
ここ櫛淵真念へんろ道は、真念道標が3基も残っている、正真正銘の古道です。

あまり知られていませんが、徳島県が全国一の生産量を誇る特産物・生しいたけ。櫛渕町も県内主要生産地域の一つで、栽培用のハウスがあちこちに立ち並びます。その周り、町の大部分を占めるのはどこまでも続く広々とした水田。

そんなのどかな農村風景の真ん中を、クネクネと小刻みに曲がりながら進む真念へんろ道。
むしろまっすぐな道でないところが、いかにも昔の村道のまま!でいい感じなのです。

なだらかな道を気持ちよく歩き続けると、西に視界を遮る小高い丘に向かい、人家が周りから消え、ついに竹林の中に突入。
たけのこを採るためにきれいに手入れされた竹林の道を少し登れば、そこは小さな峠越え。勝浦町との境を越えました。

目の前に堂々とそびえる山は、剣山系の最東端・中津峰山。天気の良い日には、遥か彼方に上勝町の山々や高丸山も見えます。

この道を下り、足元に広がる田園地帯を過ぎれば勝浦川。ここから向こうは、徳島東部地域の「山の町」の世界の始まりです。

遥かな時の流れの中、この同じ場所にいったい何人のお遍路さん達が立ったことでしょう。

この景色、このなんとも言えない高揚感、今きっと過去の時代に生きていた彼らと同じ思いを分かち合っています。

●四国八十八箇所霊場第18番札所 恩山寺
徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40     Tel : 0885-33-1218

●四国八十八ヶ所霊場第19番札所 立江寺
徳島県小松島市立江町字若松13       Tel : 0885-37-1019
https://www.tatsueji.com/

● 徳島東部の厳選トレイルを集めた『HIKE! TOKUSHIMA』もぜひご参考下さい。
 パンフレットのダウンロードはこちらから。
 https://www.east-tokushima.jp/brochure/