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史実と伝説が交わる場所
小松島市「義経ドリームロード」を歩く

史実と伝説が交わる場所
小松島市「義経ドリームロード」を歩く

2022年1月から大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が始まりました。
源平時代を生きた魅力あふれる登場人物の中でも、トップクラスの人気を誇るのが源義経です。
ドラマ放送によって人気が再燃するであろう源義経にまつわる伝説は日本各地にあり、徳島県小松島市にも残されているんです。
市が作成したパンフレットを片手に、義経の足跡をたどってみましょう。

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義経が駆け抜け、「四国遍路の父」が歩いた美しい里の道 小松島市恩山寺と立江寺周辺の遍路道
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ぶらっと徒歩で行く鳴門大麻散策
https://www.east-tokushima.jp/feature/detail.php?id=70

観光スポット 寺社仏閣 歴史


平安時代末期に、突如歴史の舞台に現れた武将・源義経。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟にあたり、子どもの頃は牛若丸と呼ばれました。
京都の五条大橋で弁慶と一戦を交えて家来にしたという逸話でも有名ですよね。
1180年、義経が21歳の時に打倒平氏を掲げた兄・頼朝が東国で挙兵します。
それに応じるように義経も頼朝の元へと馳せ参じました。
平氏と源氏の戦いである「源平合戦」が繰り広げられ、ついに平氏は滅亡します。
権力を手にした頼朝は義経を疎むようになり、義経討伐命を下します。
その追求の手により、義経は31歳でその命を散らしました。
悲劇の天才武将としても知られる義経は「判官びいき」という言葉があることでも分かるように、今なおヒーローとして支持を集めています。

義経は幼少時に天狗に修行してもらった、京都・五条大橋での弁慶の対決など数多くの逸話が語り継がれていますが、なにより戦の天才として数々の功績を残したことでも知られています。
特に有名な戦いが、一ノ谷(現在の兵庫県神戸市)の戦い、屋島(現在の香川県屋島)の戦い、そして平氏を討ち滅ぼした壇ノ浦(現在の山口県下関市)の戦いの3つになります。
このうち、屋島の戦いのときに大阪の港から出港した義経が、最初に上陸したのが小松島と言い伝えられています。

義経の狙いは、敵の背後から奇襲をかけるため、兵馬をひそかに四国に上陸させることにありました。
寿永四年(1185年)、20隻の船で大阪から漕ぎ出し暴風雨に乗じてわずか6時間で阿波の国勝浦(現在の小松島市)にたどり着いた義経の一軍。
義経は、小松島市でそれぞれの軍船に乗っていた家来たちを集結させ、源氏の象徴である白旗をかかげて士気を高めました。
義経は平氏側についていた熊山城と桜間城を破り、県境にある大坂峠を渡って、一夜のうちに屋島にたどり着いたと言われています。

小松島にたどり着いたとき、家来たちを集めた場所を「勢合(せいごう)」、白旗を立てた場所を「旗山(はたやま)」と呼び、今も小松島市の地名として残っています。
また屋島への進軍を始めたときに通ったとされる道は「義経街道」と名付けられ、今に伝わっています。
このうち、義経ゆかりの地を結ぶ小松島市内の約10キロメートルは「義経ドリームロード」と名付けられ、県内外の歴史ファンが訪れているんです。

小松島市では、この「義経ドリームロード」のパンフレットを配布しています。

パンフレット片手に義経の足跡を追ってみました。

勢合(せいごう)

勢合(せいごう)

JR阿波赤石駅から徒歩5分。
県道120号線から国道55号へ抜ける道沿いにある踏切。
そのすぐそばに、伝説の始まりの場所の石碑がありました。

源義経が軍船を集めて勢ぞろいした「勢合(せいごう)」。
海の近くにあるここで、義経が軍隊に向けて奮起をうながしたと伝えられています。

 ▲エリアマップが近くに立っています。小松島市には狸の伝承なども残っているのでぜひ立ち寄ってみてくださいね。
▲エリアマップが近くに立っています。小松島市には狸の伝承なども残っているのでぜひ立ち寄ってみてくださいね。

ちなみに、ドリームロードのルートの間には看板が立っています。目印にしてくださいね。

釈迦庵(しゃかあん)

釈迦庵(しゃかあん)

釈迦寺谷にかつて存在したお寺・釈迦庵。

竹林に囲まれた静かな場所に佇む釈迦庵。

ここには義経伝説とはまた違う見どころがあります。
それが仏足石。

旅の安全を祈る仏足石。うっすらと足跡が見えるでしょうか?
また安産祈願のむつき堂が今も残っています。

釈迦庵の横手から伸びる緩やかな上り坂に到着。

弦張坂(つるはりざか)

弦張坂(つるはりざか)

峠の向こうに潜むかもしれない敵を警戒して弓の弦を張ったまま登ったことから、この名前が付けられました。

ここはあるき遍路の道になっていて、進むと恩山寺にたどり着きます。

弦巻坂(つるまきざか)

弦巻坂(つるまきざか)

この坂の向こう側に敵の姿がないことを確認した義経は、配下に弓の弦を巻かせました。
弦巻坂から旗山へ向かう間に県の天然記念物に指定されている「びらんじゅ」の木があります。
その次はこのドリームロードのメインとも言える場所に着きます。

旗山(はたやま)

旗山(はたやま)

源義経一行が旗山の山頂に源氏の旗印である白旗を掲げて軍議を行い、士気を鼓舞し、屋島をめざしたそうです。

記念碑には「義経阿讃を征く」からはじまる伝承が書かれています。

さあ、いざ旗山!

「日本一の義経騎馬像」という案内標識がありますが、そこは鬱蒼とした山道。

い、いい運動になります…。

しばらく歩くと目に飛び込んでくるのが大きな「源義経公之像」!

お、お、大きい!

旗山の山頂にある義経像は高さ6.7メートル、幅4.4メートル、奥行き2.15メートル。
重さ5.5トン!
日本最大の騎馬像、納得ですね。

この石像は「地域に伝わる伝承を後世に」と考えて出資した方の希望で、山のふもとから見えるほど巨大になったんだそう。

日本最大というだけあって近くで見るとかなりの迫力。

義経公が今まさに出陣しようとする迫力ある表情。
愛馬・大夫黒の躍動感をはじめ、生きているかのようなリアルさに息を呑みます。
義経公のまわりには源氏の白旗がはためきます。
国道55線からもこの旗や石像が見えるので、気になっていた人も多いはずです。


義経像がある旗山には八幡神社と王子神社が鎮座しています。

拝殿の右隣にある神馬像。

八幡神社の摂社である王子神社。

こちらは八幡神社の拝殿。

旗山は階段ですぐ登れるほど低い山ですが、頂上からは小松島市の田園風景が眺められます。
旗山のふもとにあるのが天馬石(てんまいし)。

その昔、源平合戦で名を馳せた名馬・池月が天から舞い降り、この地で石と化したという伝説があります。
この石にまたがると、腹痛を起こしてしまうとも言われています。

弁慶の岩屋

弁慶の岩屋

小高い丘を登ってこの目印で曲がりましょう。

こちらが弁慶の岩屋。
土地の豪族の横穴式古墳で6世紀の後半につくられました。

「弁慶ほどの力持ちでなければつくれないだろう」ということから、地元の人々によって弁慶の岩屋と名付けられたと言われています。

中は立ち入れませんのでお気をつけて。

新居見城趾(にいみじょうし)

新居見城趾(にいみじょうし)

義経に協力し、屋島までの道案内を買って出た近藤六親家(こんどうろくちかいえ)の居城跡。当時は周辺に200余名の配下を抱える、地元の有力な武将だったと言われています。小松島に上陸した義経に加わり、熊山城(徳島市)や桜間城(石井町)を攻め破りながら屋島を目指しました。

くらかけの岩

くらかけの岩

新居見城趾に近い春日神社。

その境内に、伝説の大岩があります。

熊山城攻略のため進軍する義経が、戦を前にこの岩に馬の鞍を下ろして、休憩をとったとされる場所です。

ドリームロードの終着点はここ。
中王子(なかおうじ)

ドリームロードの終着点はここ。
中王子(なかおうじ)

普通の道に見えますが、ここは勝浦川を挟み対岸に位置する熊山城を攻略すべく、陣を構えて戦略を練った場所です。

義経はここから一気に川を渡り平氏軍を急襲し、勝利を掴んだと言われています。

案内板や道標などが立てられていて、車で移動すれば1日で回ることもできるので、観光ルートとしてもお勧めです。
当時に思いを馳せながら、伝説の地を巡ってみてください。

小松島市役所
徳島県小松島市横須町1-1
TEL. 0885-32-3809
HP/https://www.city.komatsushima.lg.jp/