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器は語る。
唯一無二の表現を求める、上板町「青藍窯」

器は語る。
唯一無二の表現を求める、上板町「青藍窯」

日々の食卓に欠かせない陶器。
日本には古くから特色豊かな焼き物が各地域で作られています。
そんな焼き物の世界に魅せられ、日々製作に励む陶芸家が徳島県上板町にいます。
「自分自身を表現する作品を作るだけでなく、陶芸教室を通して幅広い人に焼き物の魅力を伝えたい」。
静かに、けれど熱く語る陶芸家・松下敏之さんに焼き物への思いや夢についてお話をお聞きしました。

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アート・工芸 伝統・文化


徳島県板野郡上板町。
畑に囲まれたのどかな場所に佇む一軒家。

ここが陶芸家・松下敏之さんが作品づくりに励む『青藍窯(せいらんがま)』です。

『青藍窯』はもともと、松下さんのお父さんが藍住町で開いた窯で、その名前の通り、青や藍などを基調にした焼き物で知られています。

父が焼き物に打ち込む姿を見てきた松下さんが陶芸を志したのは20年ほど前のこと。

 ▲小学校低学年のときに作った焼き物。「親が残してくれていたんです。これが陶芸人生のはじまり、でしょうか(笑)」
▲小学校低学年のときに作った焼き物。「親が残してくれていたんです。これが陶芸人生のはじまり、でしょうか(笑)」

「中学・高校時代までは、陶芸家になる気はまったくなかったんです。陶芸にもまるで興味がなくて。思春期、というのもあったんでしょうかね」。
高校3年生になり、進路を考え始めると、ぼんやりとものづくりへの思いが芽生えてきたのだそうです。「やっぱり陶芸が身近に感じられてきたんですよ」。
大阪芸術大学に進学し、専攻コースで選んだのは陶芸。そこで陶芸の魅力にどっぷりとはまっていきました。「自分の手で土を触るとどんどん形になっていく。その面白さにどんどん引き込まれてきました」。

 ▲レトロな雰囲気が、松下さんの生み出す焼き物とマッチした空間。
▲レトロな雰囲気が、松下さんの生み出す焼き物とマッチした空間。

卒業後は京都でろくろ技術を学んだり窯元で修行を重ね、23歳で帰郷し、父のいる『青藍窯』で働きはじめ、少しずつ自分自身の作品づくりもスタートさせました。
32歳のときに、父から窯を譲り受けることになるのと同時に、上板町の古民家に移転。
「それまでが手狭で駐車場もなかったので、自分が土と触れ合いながらゆっくりできる場所にしたいと考えていたときに、この古民家と運命的に出会ったんです」。
そこから松下さんは陶芸家としての道をしっかりと歩んできました。

松下さんの代表作ともいえるのが「線文鉢(せんもんばち)」。

縞模様の線が入った器です。
「もともとは父が外側だけに線をつける技法の鉢を作っていたんです。あるときに、ここになにか新しいパターンができないかと考えていて、中にも線を入れるといいんじゃないかとやりはじめてみたんです」。

横からだけでなく、上から、斜めから見ることも多い立体的な鉢だからできる表現として、この線文鉢にたどり着いたんだそうです。

素焼きした鉢に色をつける部分だけ隙間を開けてマスキングテープを貼り、釉薬をかけます。線同士が重ならないように計算してテープを貼っていきます。
一番難しいのは、窯に入れて焼く「窯焚き」。

「自分の頭の中では完成形があっても、いざ窯から出すと思ったようにいかない。失敗することも多いですが、納得のいく作品になるよう釉薬の種類や窯の詰め具合を日々研究しています」。
焼き物は決して簡単に仕上がるものではありません。イメージして完成するまで1、2年、あるいは5年かかるものもあるんだそうです。
「進化を求めたり、原点にかえったり。いったりきたりをしながら、自分にしか作れない器を追い求めているんだと思います」。

展覧会などで披露する作品づくりに励む一方、一般の人が購入して使える食器の制作も同時に力を入れています。

「食器を作ると、使い手からたくさん意見をもらうんです。自分の中にその言葉が積み重なって、次の作品づくりに活かされるなど感じます」。

「食器を作ることで、いろんな技術や知識を身につけられているなと思います」。

また、松下さんはカルチャーセンターやこの『青藍窯』でも陶芸教室を定期的に開催しています。

「子どもの頃から土いじりや砂遊びを楽しんできたので、土というものに対して人は潜在的に親しみを持っているんだと思います。自分の手を動かし、土のぬくもりに触れながら器を作る。その楽しみをたくさんの人に知ってもらえたらと思います」。

作品は自分のやりたいことを表現し、食器や教室はいろんな人の声を聞く。
人との出会い、使い手のリクエスト、使い心地。すべてを自分の糧にして作品へと活かしたいという思いを持って、日々の活動に取り組んでいるんだそうです。

日本の焼き物の歴史は古く、1万1000年以上前の縄文時代から焼き物は身近に存在してきました。
さらに徳島県の大谷焼、佐賀県の唐津焼、山口県の萩焼など、日本各地には地域を代表する焼き物があるのも日本独特の文化だと松下さんは話します。
「僕は日本は焼き物のメジャーリーグだと思っています。世界広しといえど、こんなに焼き物の幅が広い国はありません」。
その理由はその土地でとれる土に個性があるから、そして豊かな四季があるからだと言います。
「夏が涼しい色合いで軽やかなもの、寒い時期は口まわりがぽってりとしていて冷めにくいものなど、日本には季節によって器を変える文化があります。だから、いろんな色合いや形、手触りの器が生まれるんです」。
また、割れたり欠けたりしても直して使い続けることができるというのも魅力だと松下さんは話します。使い捨てではない、愛着を持てばいつまでも大事に使えるもの。使い手がずっと手元に置いておきたいと思えるものを作る。SDGsがテーマとなっているこの時代にフィットしたものが、伝統文化として長く深く根付いている日本への誇りを感じられます。

「この10年は土を耕すのに必死でした。ある程度畑ができていよいよ作物を植えて育てられるようになってきた。今の自分はそんな時期だと思います」と松下さん。
これからの夢を聞くと、「地域の名前のついた器ではなく、松下敏之の名前を知ってもらえる器を作りたい」と話してくれました。
陶芸家になり20年近く。いまだに自分の器がどう見られえているか、どう評価されるかが作るたびに怖いと松下さんは話します。
原料が自然の中にあり、すべて手で作るからこそ限界がある。
早い時代の流れの中で先人たちが守ってきた焼き物の魅力をどう知ってもらうか、そしてどう使ってもらいたいかを考えながら、一日一日を重ねていきたいと松下さん。

道具として使い勝手がよいのはもちろんのこと、世界でもその美しさに魅了される人が増えている日本の焼き物。
松下さんの作品に触れ、また教室や体験を通して日本が誇る焼き物の世界に触れてみませんか?

『青藍窯』体験の紹介はコチラ
https://activityjapan.com/publish/plan/36454

東部圏域の魅力的な、「食」&「技」感動体験が詰まったパンフレットのダウンロードはコチラ
https://www.east-tokushima.jp/brochure/